宝塚は劇場で見られる三時間の夢と希望です

舞台は生モノ、とはよく言ったもので、私もその魔法に掛けられて、かれこれ十数年になります。

ジャンルは様々で、宝塚から今話題の2.5次元まで幅広く観ています。

中でも一番好きなのは、宝塚歌劇です。

物語の登場人物をすべて女性が演じるという、他にない魅力が第一の売りである宝塚は、創立100周年を超え、今もなお我々ファンを魔法に掛けたかのように魅了し続けています。

親子三代宝塚ファン、という方も珍しくありません。

ではなぜ我々は、一度掛かった魔法が今も解けずにいられるのでしょうか?

第一に、宝塚が創る世界観は美しいということです。

女性が男性を演じるのですから、つまりは全てが嘘、フィクションなのです。

現実にあるようなドロドロとした人間の邪な部分も、世界中にはびこる欺瞞、不正の全てが「宝塚」というひとつの世界のなかに完結してしまうのです。

もちろん人間の嫌な部分、闇を抱えた部分を描く作品も多々あります。

しかし、それでも宝塚だからと、まるで自分のいる世界とは別の次元に存在する世界のように、「一人の観客」として楽しむことが出来るのです。

第二に、演じる側の人間がみな美しいということです。

宝塚は厳しい条件の元、あの輝かしい舞台に立つことが許されています。

ですから、舞台上に生きる人間は美しい人たちばかりです。

それこそが我々が現実を忘れ、夢に酔いしれることが出来る理由なのです。

いくら美しい恋物語でも、かっこいい武勇伝でも、ドラマのように共感を得たり感動することできても、やはりビジュアルが良くなければ夢を見ることは出来ません。

夢を見ることができるのは、美しい世界にふさわしい美しい登場人物がいるからこそなのです。

第三に、宝塚は入団したあとは卒業、いわゆる退団公演があります。

タイミングは人それぞれで、華々しくトップスターとして舞台のセンターに立つことが出来る人もいます。

その一方で、メインの役はもらえても、トップスターにはなれない人もあれば、台詞の一つももらえずに卒業していく人もいます。

宝塚のスターとして舞台で輝くあの瞬間は、永遠ではないのです。

顔ニキビ跡消えないように、誰にも等しく終わりがあるのです。

一公演ごとに、演じるメンバーが変わることも珍しいことではありません。

ですが、終わりがあるからこそ、儚く美しい夢を見られるのです。

タイトルにある「舞台は生モノ」というのは、その一瞬の煌めきであると私は捉えます。

同じメンバー、同じ配役、同じ音楽や呼吸、彼女たちが歌や台詞、ダンスに乗せた感情、そして私たちが抱く感動は、二度と見ることのないたった一度限りの夢なのです。

約三時間、あの赤い座席で現実の全てを忘れ酔いしれることができる宝塚は、趣味という枠を越えた私の大きな夢、希望なのです。